下大沢 駿|Shun Shimoosawa
2017
鉄筋コンクリート、テラコッタ、番線
伊勢神宮で杉の巨木を見て感銘を受けました。それらは人知を超えた神木であり、そこでの人間の営みとの共生のあり方は日本の文化や伝統を象徴しているようでした。 しかし、私はそれらを身近に感じることができませんでした。私の住む街では人の作為に覆われて自然が存在し、そこでは伊勢神宮の杉の木はむしろ不自然なものとして私の目に映るでしょう。私にとって身近な人工物と、私の知らない自然のあり方との関係を示すことを試みました。
テラッコッタの杉の木とヒューム管は共に私の手で作られています。私はヒューム管に穴を開け、テラコッタの杉の木を貫通させました。 そしてそれらを床に置き、ヒューム管の重さでテラコッタが崩壊する様子を提示しました。
私が作った杉の木は擬木に過ぎなかったのかもしれません。 そしてそれは、崩壊によって初めて自然になり得たのかもしれません。